少女マンガ的三島由紀夫 『音楽』
どんな本を読むの?と問われたときにそう答えると、相手からは、感心されるよりも、(本当にわかっているのかよ)という含みを持たせた「へぇ、すごいね(ニヤニヤ)」を返されることが多い。
それは私の、おそらくあまり賢くはなさそうな容姿と言動に因るのだろうが、たしかに私はよくわからずに読んでいた。
ではなぜ彼らの作品を好んで読んでいたかと言えば、“登場する男たちが美しいから”である。十代後半の頃の私は、「少女マンガみたい!」と思いながらそれらを読み耽っていた。
特に私が胸をときめかせたのは、三島由紀夫の『音楽』という小説に出てくる花井青年である。
うろ覚えで申し訳ないが、ここに最も好きなシーンを上げる。
美しい不能の青年、花井が外の通りを歩いているのを、精神分析医の汐見は診察室の窓から見かける。
花井は花屋の前でふと足を止め、小さな花束を一つ買い求めると、それに鼻先を寄せた。
その姿を窓から見下ろしていた汐見は、「あいつにもあんなところがあるのだな……」と微笑ましいような気持ちでいたのであるが、次の瞬間、花井はそれを車が行き交う大通りにポイッと捨てるのだ。
花束は車のタイヤに無残につぶされ、醜い汁を流す……。
これほどまでに美しいシーンはない、と思った。(原文はもっと素晴らしいです)
これほどカッコイイ男はいない。
三島は同性愛傾向の強い人であったと言われる。
ゆえにか、男の描写が非常に、ある種の人間のツボを押さえているというか、胸をときめかせる。
あのころの私は彼の『葉隠入門』を読んで“衆道(男色)”について調べてみたり、思えばいくつかの三島作品を含め、あれが私にとってのBL体験だったのかなとのちに気付いた。
そして私はそれに似たものを、ドストエフスキーの男性描写からもなぜか感じ取っていたのである。